2014年2月14日 (金)

万人の天職

「万人の天職は何ですか?」
「吉満義彦というカトリックの思想家のドイツ語の詩の中に、『私にはもう思索は出来ない。祈るのみ』という個所があります。思想家を天職としたら、思索力は不可欠でしょうが、それがなくなっても、祈ることはできます。祈りは万人の天職ではないでしょうか」

「吉満義彦って、どういう人ですか?」
「明治37年10月13日に誕生したカトリック哲学者です。享年41。東大の学生だった時には、内村鑑三の集会に出ていましたが、岩下壮一神父の影響でカトリックの信徒になりました。パリに留学し、ジャック・マリタンに師事。晩年は司祭の道を目指したけれど、若くして亡くなりました。『三田文学』で若松英輔氏が『吉満義彦』を長く連載していましたが、最新号にはありません。単行本になるという話もあるようですが、実現すれば楽しみです。有志らが命日に『しのぶ会』を開いてきましたが、ここ2回はしていないようです」

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2011年10月17日 (月)

吉満義彦をしのぶ会

ことしの「吉満義彦をしのぶ会」は次の通り行います。

●日時 10月30日(日)午後2時から
●場所 四谷のサレジオ管区長館
●司式 金子神父

参加自由です。ミサ、歓談があります。参加される方は、お知らせください。メール先は、vem15720@nifty.ne.jp です。

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2011年6月17日 (金)

吉満義彦の連載

現在、注目されている評論家の若松英輔さんが季刊『三田文学』に吉満義彦の連載をしていて、既に2回、掲載されている。

若松さんは『三田文学』に、「須賀敦子の足跡--異端者の信仰とその祈願」、「小林秀雄と井筒俊彦--神秘的人間とその系譜」、「越知保夫とその時代 求道の文学」、「井筒俊彦--東洋への道程」などの作品を発表されている。若松さんがカトリックかどうか知らないが、須賀敦子さんについての評論はカトリックでも、なかなか書けない力作だと思う。

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2009年10月 6日 (火)

吉満義彦をしのぶ会

毎年1回、吉満義彦先生の帰天(10月23日)を覚えて、しのぶ会を行っていますが、今年の日程は、来月(11月)の29日(日)午後2時から、四谷のサレジオ管区長館に決まりました。ミサと、その後、懇談の時がもたれます。興味のある方は、どなたでも参加できますが、当方へメール(VEM15720@nifty.ne.jp)していただくと、ありがたいです。

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2009年5月27日 (水)

吉満義彦に関する論文

『東洋哲学研究所紀要』(第24号、2008年12月)に、氏家法雄氏(創価女子短期大学非常勤講師)が、「吉満義彦の人間主義論-近代批判とその神学的根拠(1)」と題する論文を発表されています。

全体は、「はじめに ①問題の所在-何故、吉満なのか。「近代の超克」をめぐる議論から ②吉満義彦の人と信仰 ③吉満の歴史意識 ④吉満の恩寵論 吉満における文化と自然と宗教 ⑤超越的内在論としての受肉のヒューマニズム ⑥おわりに」という構成で、今回(1)では、②までが紹介されています。続編が待たれます。

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2009年4月26日 (日)

最後の仕事

思想家が 思索の力 失って
 ただ祈るのみ 最後の仕事

吉満義彦のドイツ語の詩に、そんな内容のものがありました。「私は考えることが出来ない。ただ祈るのみである。……」

祈りは、人間に残された最後の仕事であるかも知れない。そして、一番大切な仕事であるかも知れない、と思います。

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2009年3月22日 (日)

吉満・資料

『季刊日本思想史』72号(2008年1月)は「近代日本と宗教学:学知をめぐるナラトロジー」を「特集」、その中に、吉満義彦に関する論文があります。

鶴岡賀雄「吉満義彦の「近代日本カトリシズム」」です。

新宿東口に新しくできた書店に行けば、入手できるかも知れません。

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2009年1月28日 (水)

読書会の持ち方

昨年、吉満義彦を偲ぶ会で、参加者の一人が読書会の提案をされました。どういう案が出てくるのか、今、待っています。

2か月に1回、あるいは、年4回と、どこかに集まることを考えられているのかも知れません。そうなると、集まる人も限られるし、また、都合のつかない人も出てくるかも知れません。しかし、このようなあり方のみが、読書会の持ち方なのでしょうか。

現代のIT社会では、もっと別の読書会の持ち方があってもいいのではないでしょうか。例えば、電子掲示板を利用し、会員のみ書き込みを許可するとか。

ブログの場合には、どうしても個人の「日記」風になりますので、その人以外はコメントでの発言のみとなり、どうしても会員が自由に発言する場にはなりません。やはり、掲示板がいいと思います。

今は、無料掲示板もあります。それらを利用して、読書会をしてみるのも、一案ではないでしょうか。

以前、「ハレルヤ ハレルヤ」という、キリスト教の電子会議室がありました。なかなか、面白かったのを覚えています。しかし、同時に、文章のみの情報のため、勘違いもあるし、緊張もありました。管理人は大変だったと思います。

その点、ブログは、そういう緊張はないのですが、テーマを深めることには限界があると思います。一長一短があるということでしょうか。

現代における読書会として、掲示板の利用も一案かと思います。

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2009年1月 4日 (日)

胸像除幕式

このブログを読まれた方から、10月10日、吉満義彦の生まれ故郷、鹿児島県大島郡徳之島町亀津で、「吉満義志信・義彦氏胸像除幕式」があったことを知らされました。

今年の「偲ぶ会」は、10月30日でしたから、除幕式の報告はあってもいいと思いました。残念ながら、話題に出てきませんでした。私も、今回、初めて知りました。

しかし、吉満義彦の故郷で、その業績を顕彰する動きがあることは、もう何年も前に、その関係者の一人に会ったことがあり、知っていました。吉満の再評価のきっかけの一つは、講談社から出た全集ではないかと思います。

昨年の「偲ぶ会」のあと、読書会の準備のあることを紹介したところ、何人かが興味を示されました。今は提案者の企画を待っているのですが、個人的には、日本におけるキリスト教思想の深化に役立てばと、願っています。

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2008年11月12日 (水)

『日本思想史』に論文

季刊『日本思想史 No.72』(日本思想史懇話会編集、ぺりかん社、2008年)に、吉満義彦に関する論文が掲載されています。タイトルは「吉満義彦の「近代日本カトリシズム」」で、筆者は鶴岡賀雄・東京大学教授。

それによると、吉満の近代批判の方法は、内在的超越であり、超越的内在ではないとのこと。そして、岩下もまた、内在的超越の方法を示唆しているといいいます。現代を歴史的中世に戻すのではなくて、近代を通り、その中から、中世の永遠的要素に戻る道を提唱しているのだということでした。マリタンは、デカルト、ルター、ルソーへの批判を書きましたが、これもまた、近代に対する内在的超越の道による批判なのかも知れません。ただ、読者の中には、それが超越的内在の批判として映るかも知れません。

「新しい中世」という言葉については、104頁の注に、こう書かれています。

「「新しい中世」という言い方は、ベルジャーエフやドーソンによって唱えられ、近代西欧文明への批判を中世キリスト教文化への再評価と結びつける歴史哲学的スローガンとして当時一定の反響を呼んでいた」

吉満・読書会などでは、こういう論文を取り上げるのもいいかも知れません。現代における関心のありかを如実に示しているからです。

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